太田母斑(青あざ)
太田母斑治療症例1
シミの種類
- 以下の混合タイプ
- 太田母斑
- 左こみかみ、左下眼瞼内側、まばらなタイプ
- 炎症性色素沈着
- そばかす(少量)
- 日光性色素斑(右もみあげ前)
検査機器
- アンテラ3Dによるメラニン・ヘモグロビン・凹み(毛穴、小じわ)計測
- アンテラ3Dとは⇒
- 太田母斑ではメラニン色素の分布が真皮深層ですので、茶色だけでなく、赤色も呈する。
- 初診、治療後に定期的な検査を繰り返し、良くなっているかどうか確認しながら、治療を進めるカスタマイズド治療を推進しております。
治療経過
- 1. 亜鉛サプリ内服とルミキシル外用開始。(当院で購入の継続はなく、市販品で継続されているかどうかは未確認。)
- 2.2週間後に光治療で浅い色素と異常な毛細血管の治療を行いました。
- 3.2週間後にアンテラ3Dで検査すると、メラニンはあまり変化がありませんでした。
- 4. 点眼麻酔後に金属コンタクトで角膜保護を行い、上下眼瞼の太田母斑に対して当初は自費でピコシュアを照射、途中でエンライトンSRを導入したため、保険診療に切り替えて、照射しました。
- 5. 各部位2回照射でかなり脱落しました。太田母斑の割にメラニン色素分布は浅めだと思われます。
- 6. 両頬に皮下静脈の拡張を認めましたので、赤に反応するNdYagレーザーを照射しました。
- 7. 毛穴や小じわも同時に改善しました。
治療総額(3年10ヶ月間)
- 246,400円(都度払いの合計金額)
問題点
- 1.施術の際、痛みを伴います。表面麻酔を行いますが、真皮深層のメラニン色素が破壊される時に痛みが発生します。完全に無痛にするためには、局所麻酔の注射が必要になります。
- 2.シミの病態は複雑ですので、治療も複雑になり、月単位、年単位の時間がかかります。個人差が大きく、治療効果が良好な場合と、治療効果が芳しくない場合があります。
- 3.治療法によっては、炎症性色素沈着で一時的にメラニン沈着が濃くなってしまうことがあります。トランサミンの局所注射やグルタチオン点滴などで対処します。
【太田母斑とは?】
太田母斑(おおたぼはん)は、顔面の片側に青や茶色の色素沈着が見られる先天性の色素性母斑です。特に目の周りや頬、こめかみなどに出現し、思春期や成人期になってから濃くなることがあります。日本では比較的多く見られる症例で、主にアジア人に多く発症します。
【起源】
太田母斑は、胎児期のメラノサイト(色素細胞)が皮膚の深い層に残ることで生じます。メラノサイトが真皮層に異常に蓄積することで、皮膚が青や灰色、茶色に見えるのが特徴です。生まれつきのものであることが多いですが、思春期以降に初めて現れる場合もあります。
【好発部位】
太田母斑は通常、顔の片側に限局して発症し、以下の部位に現れやすいです。
- 眼の周囲(上下眼瞼、眼球結膜、白目にまで達することもあります)
- 頬
- こめかみ
- 額
- 鼻の周り
顔面神経の分布領域に沿って現れるのが特徴的です。稀に両側性に現れるケースもあります。
【治療法】
太田母斑は自然に消えることはほとんどなく、審美的な理由や心理的な影響から治療が検討されることが多いです。治療の主な方法はレーザー治療です。
【治療法】
太田母斑は自然に消えることはほとんどなく、審美的な理由や心理的な影響から治療が検討されることが多いです。治療の主な方法はレーザー治療です。
主な治療法:
- ピコ秒レーザー
- 最新のレーザー技術で、ピコ秒という非常に短い時間で色素を破壊します。従来のレーザーに比べて、より少ない治療回数で効果が期待でき、皮膚へのダメージも軽減されます。特に太田母斑のような深い色素沈着にも優れた効果があります。茶色の色に反応するだけでなく、組織破壊力がありますので、メラニン色がない母斑細胞にも有効です。
- 当院ではエンライトンSR(キュテラ社)を使用しています。
- Qスイッチルビーレーザー
- メラニン色素に選択的に作用し、色素を破壊します。ピコ秒レーザーと併用する場合もあります。
- YAGレーザー
- 特に深い層にある色素にも効果があるため、太田母斑に適した治療法です。
【治療時期】
レーザー治療は年齢に関係なく行うことができますが、早期に治療を開始することで効果が高くなる傾向があります。
- 幼少期
- 早期に治療を開始することで、色素が定着する前に薄くできる場合が多いです。
- 痛みを伴いますので、入院(もしくは日帰り)で全身麻酔が必要になります。
- 成人期
- 成人後の治療も有効であり、メイクで隠しきれない場合や見た目が気になる場合は早めの治療が推奨されます。通常、治療を数回に分けて行いますが、効果は継続的に現れます。
- 痛みを伴いますので、麻酔クリームや局所麻酔注射を行う場合があります。
【まとめ】
太田母斑は美容面だけでなく、心理的な影響も大きいため、早めの相談と治療が推奨されます。レーザー治療は安全かつ効果的で、多くの方が満足のいく結果を得ています。気になる方はぜひご相談ください。
太田母斑の名付け親
木下 杢太郎(きのした もくたろう)先生は、太田母斑の名付け親として知られる日本の医師であり、文化人です。本名は**太田 正雄(おおた まさお)**で、医学者、詩人、翻訳家、画家としても幅広い業績を残しています。
【木下 杢太郎 先生の略歴】
- 生誕
- 1885年(明治18年)、静岡県に生まれる。
- 医学者としての活動
- 東京帝国大学医科大学を卒業後、皮膚科学の研究に従事。医学者としての専門は皮膚科で、後に「太田母斑」として知られる色素性疾患の研究を行いました。
- 太田母斑の命名
- 1927年に彼の研究により、青黒い色素斑を伴う顔面の疾患が「太田母斑」として医学界に報告され、その後この名称で広く知られるようになりました。
【文化人としての活動】
木下 杢太郎は、医師としての活動に加えて文学や芸術の分野でも大きな業績を残しています。
- 詩人として
- 彼は明治・大正時代を代表する詩人の一人で、自由詩や象徴詩を数多く執筆しました。詩作では「木下 杢太郎」という筆名を使用し、文学活動でもその名を広めました。
- 翻訳家として
- フランス文学やドイツ文学の翻訳でも知られており、外国文学の紹介にも貢献しました。
- 画家として
- 水彩画や挿絵も手掛けるなど、多彩な芸術的才能を持っていました。
【彼の影響と遺産】
木下 杢太郎先生は、医学と文化の両方で深い影響を与えた人物です。太田母斑に関する彼の研究は、色素性疾患の理解を深め、現在の治療法の基礎を築きました。また、文学や芸術の世界でも、彼の作品は日本の近代文学に大きな影響を与えています。
木下 杢太郎先生は、1955年に亡くなりましたが、その業績は現在も医学と文学の両分野で高く評価されています。